ようは
「ついてゆけない」のはビジネスモデルが理解できないということだろう。
ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。
ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。
・カスタマーへフォーカスする。
・細部をつめないで前にすすめる。
・やりながら最適化する。
・手法に執着しない。
・状況は変化してあたりまえ。
・言ってることも変化してあたりまえ。
・やってることも変化してあたりまえ。
・目標達成の最短行動をえらぶ。
・ぜんぶをコンセンサスとる必要はない。
・決定してから手法をかんがえる。
こーんなのは、今を生き抜くうえであたりまえのことで、
薬師院やら香山やらはそういう脳みそをつかってないから判らない。
反対派はすべてのプロセスをボトムアップですすめないとついてゆけず、コンセンサスに漏れあると問題視する。
まさに日本が意見の集約ができず苦しんでいるのは、こうした過剰なコンセンサスで、
政治家だけでなく「市民レベルで決定させないひとたち」をみるいい機会になった。
「つまづいたときには肉」「答えが出ないときにはスイーツ」「冴えないときはとりあえず甘い飲み物」でいき、それでもダメならとりあえず寝とけ。
「人が動かない理由」
には以下の4種類があることに気づきます。
1 知らない(現状を実感として把握していない)
内部にいると、厳しい現状でさえ日常になってしまい、危機感を失っていた。
2 責任を取りたくない
賛意を表明してしまうと、失敗したときに自分の立場が悪くなるから。
現場での協力はするが、賛成はしないという人もいた。
3 めんどくさい
現状を変えるのが面倒なので、あれやこれやと、
うまくいかない理由を挙げてやらないで済まそうとした。
4 あなたが嫌い
改革着手当時は20代とまだ若く経験も浅い漆氏、
校長の娘という立場を盾に、偉そうなことを言っていると感じる人がいた。
漆氏は、それぞれの理由について、
次のような工夫で乗り越えていったそうです。
1 知らない(現状を実感として把握していない)
外部から見たらどんなに厳しい状況なのか実感してもらうため、
外の人に会いに行く時、同僚たちにも同行してもらった。
2 責任を取りたくない
学内の様々な改革プロジェクトチームにおいて、
漆氏が「私が責任を取るから!」と、いわば皆の「風除け」になることを明言した。
3 めんどくさい
できない理由を挙げる人は、漆氏とは「違う絵」を見ていた。
漆氏は、改革がうまくいった時に、生徒が喜んでいる「ゴール」のイメージを描いていたのに対し、
動かない人たちは、そのプロセスで遭遇するであろう、さまざまなトラブルや障害をイメージしていた。
つまり、人によって、ゴールorプロセス、
あるいは成果orリスクのどちらか一方しか見ていないことがあるということ。
そこで、漆氏は相手の見ている絵がどんなものかを聴き、
一方、漆氏は、自分見ている絵がどんなものかを相手に伝えた。
こうして、お互いの見ている絵を交換することで、改革に対する理解と行動を促した。
4 あなたが嫌い
わずか5分でもいい、改革に関わる簡単な仕事を頼み込んでやってもらう。
そうすると視点が変わり、主体者意識が出てくる。
こっち側に一度でも連れてくれば、漆氏は嫌いな対立者ではなく、同じ改革に取り組む仲間になる。
治療法の探索にも、モバイルが役に立つ。たとえば、処方箋は医療記録を付随させた情報として電子化すれば、森林の木を救い官僚的な書類事務をなくし治癒を早める。医師はその職業的時間の90%を、貧弱で表層的な情報(患者の入力)から正しい診断を求められている(しかも遺伝情報の利用はまだ一般化していない)が、そんな不確かな診察行為に10数年もの専門教育が必要なのだろうか?
tumblrに求めているのは別にお得な情報なわけじゃなくてなんらかのインスピレーション,っつうかグッッッときてハッッッッとくるものなんだよねえ。そするとやっぱり過去も現在も未来も全然関係ないよね。
──長年、MITの学生たちを見ていてよくある「過ち」があれば、教えてもらえますか?
最も陥りがちな過ちは、あまりにも多くのことに興味を持ち過ぎてしまうことです。いろんなものに興味を持つこと自体は悪くないですが、ある段階できちんと何がいちばん大事かを考えて、それをやり遂げなければならない。
たとえ他に面白そうなものがあっても、成功する可能性があっても、いちばん大事なもの以外は捨てなければならない。なぜなら、一日は24時間しかないし、人生は100年もないわけです。時間は限られている。
でも、若い人にとってそれを認識するのは難しいんでしょうね。残り時間を無限だと考えているし、エネルギーも無限にあると思うから、いろんなことに手をつけてしまう。優先順位をつけるための価値体系が固まっているかどうかが大事なポイントでしょうね。
──いろんなことに興味を抱いてしまう学生に、どういったアドバイスをされるのですか?
何を選ぶのかを考えさせますね。そして、なぜそれを選び取ったのかをきちんと説明できるように考えさせます。最終的には君は何のために生きているんだ、という話に行き着くことも多いです。「人生が残り1日しかなかったら、どれを選ぶんだ?」「残り10年だったら何を選ぶんだ?」と問いかけるわけです。
「社会にどういうインパクトを与えれば君は満足するのか?」という話をして、優先順位を決めさせる。これができない人は、自分が見えていない人、つまり哲学のない人が多いですね。
あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。
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こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。
これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。
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なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。
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そんでもって、意見交換で相手を説得するには根拠が必要なんです。上の方にも書いたけど、根拠を挙げようと思ったら、「ぼくは/わたしはこれが好きだから、みんなこれに賛成するべき」なんて小学生ですら恥ずかしくて言えなくなります。たとえタテマエでもいいから、「なぜこれが集団の構成員全体にとって有益なのか」を示さなければならなくなるわけで、全員が頭をひねってその「なぜ」を考えるうちに議論が深まり、より考え抜かれた意見が形成されていきます。そこまでやってから決を採ってこその多数決でしょ。
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結局はマツダ先生が偉かったってことになるんでしょうけど、ああいう議論のしかたの教育を日本じゅうの小学生が受けられるようにしなくちゃいけないと思いますね。ゆとり教育の見直しで算数だの英語だのの時間を増やすのもいいけど、こういうところにももっと力を入れていく必要があるとあたしは思ってます。
もうひとつ気をつけていることがある。それは、企画書をはじめ、書類を一部しか出さないようにしていることだ。その一部をちゃぶ台の真ん中に置き、みんなで覗き込むようにして見る。すると、不思議とそれだけで一体感が生まれる。各自に書類を配ると、全員、その書類に目を落とし、自分にこもってしまうことになる。それでは「協同作業」の場にならず、「個人作業」の場となってしまう。あのどよんとした空気感からは、前向きなアイディア、クリエイティブな発想は生まれにくい。
これはもう本当に何度言っても言い足りないくらいなんだけど、落ち込んだりしちゃってる時はまずは体調的な原因を疑うのがいい。腹減ってるとか飲み過ぎと
か。原因がわかったら、チョコでも食べながら好きな音楽聴いたりクスッと笑える何かを観たりして嵐が過ぎ去るのを安全な場所で待っていればいい。
そう思って、今回、ある授業で、「コピペのみによるレポート」という課題を出してみた。ネットでアクセス可能な記事や論考の一部を切り貼りして組み合わせることで課題に答えるというものだったが、これがけっこう興味深い結果となった。
一応、評価基準はあらかじめ示しておいた。基本的に接続詞など最低限の文章のつなぎ以外はすべてコピペ文で構成すること、コピペ文にはすべて元 URLを付け検証可能とすること、1つの文章を長々とコピペするよりいろいろなものを組み合わせたものを高く評価すること、同じ内容ならより有力な元サイトからのコピペを高く評価すること、レポートの構成に関してはオリジナリティを評価することなどだが、ひょっとして皆同じ内容になってしまうのではという危惧に反して、内容がけっこうばらけただけでなく、レベルの差がかなりはっきり現れたのだ。コピペでちゃんとレポートが構成できる学生は、それなりに内容を理解しているということなんだろうし、他の人とちがうところから引用していれば、よりていねいにあちこちを探しまわったということがわかる。それにこれなら、コピペかどうかで気を病む必要もない(全部コピペなんだし)。
死を目前にした終末ケアの患者が看護婦に打ち明けた後悔する事柄 トップ5。これは考えさせられる。1)他人の期待ではなく、自分自身に正直に生きる勇気があれば良かった。2)あんなに仕事ばかりしなければ良かったhttp://t.co/DGTVQQco